遥と陸のハチャメチャ学園生活プロローグ

ハチャメチャ学園生活プロローグ

1996年4月

僕等は生まれて来る子供を北海道の自然の大地で育てたいとの思いで新潟からフェリーに乗り込みました。知り合いが一人もいない北海道で何故と思いますよね。

初めて仕事で北海道へ行き、カルチャーショックを受けました。途轍もなく広大な大地、野生動物が直ぐそこに現れます。北狐、蝦夷鹿、フクロウ、リス、ムササビその魅力に魅せられ、この大地で子育てをしたいと強く思いました。

丁度インターネットが世に広まり仕事はネット環境さえあれば何処でも出来ると感じていました。僕等は新潟から小樽を経由札幌につきました。長野でやっていた仕事をここ札幌で始めようと2ヶ月かけて会社を設立、住宅も札幌に2LDKの部屋を借りハローワークへ行き10人社員を募集、北海道の会社と交渉、其処からの仕事をやる事に決定。事務所も借り仕事を始めました。その年の10月に一人目の男の子が生まれ、遥と命名します。円山の幼稚園に入れ本格的な、子育ての始まりです。札幌の会社は仕事にも恵まれ4年間忙しく仕事をしました。遥の後2年後に陸と言う男の子を授かりました。

北海道ではその頃トンネルでの落盤事故や山側からの落盤事故が多発、我々の仕事でデジタルによる、災害解析、災害管理の仕事を忙しくやり、石狩川水系の管理と言う大きな仕事をやり遂げた我が社は、これを機に会社を解散しました。

子育てを札幌では無く、もっと内陸の十勝でやりたい希望を持っていました。札幌は、冬場雪の量が多く子育ては、大変でした。外で自由に、遊ばせてやれない僕らは校外の簾舞という街に越しましたが、矢張り広い大地はありません。ヒグマの脅威を常に感じていました。

僕等は十勝の幕別町に越す手配を始めました。

町営住宅の抽選会が近々ある事を知り、申し込みました。抽選会の日に車で幕別町まで行き、5分の1の抽選で住宅を引き当て、子供の保育園入園も決め遥3歳、陸1歳の時に越しました。

僕等は東京の会社と契約をして、デジタル地図の編集をして、生計を立てる事 にしました。

この頃のネットはとても遅く、データをとるのに24時間かかったこともありましたが、仕事は出来ました。東京迄行く事を考えたら、それでも楽でした。やっと此処で子育てを本格化しました。

この町は十勝平野の真ん中にあり、冬はとても寒い為積雪は札幌よりずうっと少なくせいぜい何10センチで、直ぐに除雪が入ってくれて道路は雪の無い状態です。周りには農家が多く新鮮な野菜、酪農家からは、新鮮な肉や牛乳が手に入ります。川には鮭が上がってきて産卵風景を見ることができます。1メートル程の小川にも鮭が昇ってきます。

町には運動公園があり、400メートルのスケートリンク、陸上競技場、野球場、スキー場を二つも抱えて、子供達の練習場になります。この町は、本当に子育てには、ぴったりの町でした。

遥小学校2年、陸1年で町の陸上少年団に所属しました。

そうして、家族の猫が飼いたいよねーの希望で3LDKの快適な町営住宅を出て、人口密度14人の中里にある、小学校廃校跡地にある元教員住宅に移り住み学校は町中まで25キロを通う生活へと変化して行きました。そうして此処から10年子育てブログ、遥と陸のハチャメチャ学園生活が、始まりました。

小学校6年間、二人は陸上競技をやり、中学生から二人とも野球をやり出しました。

此処までが

遥と陸のハチャメチャ学園生活のプロローグになります。

後半エピローグへと続きます。

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